信州・東海地方をぐるり一人旅(1日目)
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3代目スカイライン。写真は初代GT-R。

このGT-Rが'70年頃の日本グランプリレース等で、短期間に50勝以上を成し遂げた。この時よりスカイライン(GT-R)の常勝神話・常勝伝説が生まれる。


4代目スカイライン。写真は二代目GT-R。
当時のCM・広告企画である「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチコピーから、通称「ケンメリ」と呼ばれて愛されていた。またこのGT-Rは当時の排ガス規制の煽りを受け、生産台数僅か197台という悲しい歴史があるが、逆にそれがGT-R神話を加速させる一つのファクターともなっている。

なお現在でもスカイラインの代名詞と言っても過言ではない「丸目4灯ブレーキランプ」は、この4代目スカイラインから。


34R・ニュルブルクリンク走行実験車「ステルス」

33Rがデビューして間もなく次期GT-R(34R)の開発が始まったが、このクルマは34R開発における集大成的なクルマ。この実験車でニュルブルクリンク北コースを走りこみ、34Rが誕生した。


34R V-SpecU
特にこの34Rは、日産・村山工場で生産された最終生産車。ちなみに村山工場って何?って人は
などをご覧下さい。
ちなみにこの最終生産者の所有者は、R34開発主管だった渡邉衡三氏。


33R・4ドアGT-R

初代4ドアGT-Rが消滅してから、過去プライベートチューナーが独自に4ドアGT-Rを作ったりしてその界隈では注目を浴びたものですが、このクルマはオーテックジャパンが33Rをベースに作り直したワークスマシン?みたいなクルマ。ワークスマシンという表現したけどもちろんレースカーじゃないですよ。


ここからはレースカーです。


こちらはZEXELスカイライン。'93から始まった全日本GT選手権出場車。ZEXELチームはNISMOが運営してました。
このクルマは鈴木利男がドライブするも成績がパッとしなかったそうです。


BNR32-100001
GT-R NISMO 1号車

'90のベルギー・スパ24時間レースでデビューしたクルマ。Gr.Nで3位を獲得する。


33R・ARTAスカイライン♯50

全日本GT選手権で鈴木亜久里が監督してた、オートバックス・レーシングチームで活躍してたクルマ。


ここからはちょっと変わったものを。


これはGT-Rの心臓、RB26DETTのエンジンブロック。8代目32Rから10代目34Rまで搭載されたエンジンで、主観的にも個人的にも、そして世間的にも「名器」と言って過言ではないエンジンでしょう。

黒坊主にも載せたい...


写真は7thスカイラインの4ドア版ですが、何が目を引いたかというと、岩城晃一のサンシェードw 「そのとき、精悍」というキャッチコピーを思い出させてくれました。

しかし若いですね〜岩城晃一。


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